滋賀県守山市の比叡山東門院守山寺の公式サイトです。|東門院の境内案内
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◆本堂
本尊 十一面観世音菩薩立像
弘仁元年(810年)3月、湖水上に毎夜一条の光明があり、湖岸の人々も不思議に思い、光りが放っているところに網を投げると十一面観世音菩薩の霊像が現れ、嵯峨天皇の勅定により、当院に安置されました。
昭和61年、不慮の火災により、被害にあわれましたが一木造りのため難を逃れ、平成2年に修復が完了して現在、本堂厨子に安置されています。
守山宿 高札
正徳5年(1711年)5月の高札。高札場は、宿の中心にあり、6面の高札が残されていましたが、現在は2面しか残っていません。
高札の内容は、毒薬ならびににせ薬種売買の禁止、にせ金銀の禁止、寛永の新銭金1両に4貫文との換算のこと、銭座以外での鋳銭の禁止、新作の確かでない書物売買の禁止、誓約をして徒党を結ぶことの禁止などを命じています。本堂にお詣りされると御覧いただけます。
◆不動堂
不動明王坐像
興教大師の作です。
不動明坐像は、その大きさでは近江一で、全国でも十体の中に入るとされている坐像で、重要文化財に指定されています。
◆大師堂
お大師様
大師堂は、永年の風雪に耐えていましたものの老朽化が激しく、大師様をお祀りするにも耐えがたい状態でしたが、このたび壇信徒の皆様のご浄財によってようやく再建する事ができました。
これもひとえに、ご信心のおかげと感謝いたしております。当寺を、ご参拝の折には、ぜひともお詣り下さるようお願い申し上げます。
◆仁王門
門出仁王
室町時代に建立されたもので、当院で最も古い建物です。坂上田村麻呂が、戦勝祈願をして、勝利をおさめたことにより門出仁王とも呼ばれています。
◆薬師堂
源内塚
平治元年(1159)12月27日、当時13歳の源頼朝は、平治の乱に敗れて京から東国へ敗走する途中、仲間とはぐれて一騎で守山宿に入りました。馬上で居眠りしながら進んでいると、宿場にいた源内兵衛真弘が落人である頼朝の首を獲ろうと襲いかかりましたが、頼朝は「髭切り」と呼ばれる名刀で源内を両断にしました。
村人は源内を哀れんで埋葬し、塚をつくったのがこの首塚です。正面にある丸い石は、探し物などに霊験があり、軽く持ち上がると願いが叶うといわれています。
◆石塔
石造五重塔(重要文化財)
各重とも塔身と笠からなる層塔形式の五重塔で、刻銘はありませんが鎌倉時代の造立と考えられています。基礎は、四面とも素面で、幅が広く成が低いです。初重の塔身は、前後二石からなり、舟形輪郭内に正面は阿弥陀、背面は釈迦と見られる仏坐像を彫刻しています。
宝篋印塔(重要美術品)
基礎の幅に対して成が低く、基礎の反花蓮や格狭間、開花蓮の様式や手法から、鎌倉時代の建立と考えられています。
石造宝塔(重要美術品)
基礎や塔身の幅に対して成が低く、細部の様式や手法から、鎌倉時代の造立と考えられています。
◆お葉つき銀杏
守山市の天然記念物
平成9年に守山市の天然記念物に指定されています。
高さ25メートル、直径3.5メートルで、4月に花と新葉がでて、秋には黄色い種子を結びます。これが銀杏(ぎんなん)です。お葉付きイチョウは葉の上に種子が出てきます。樹齢はおよそ600年と推定されます。
◆その他の境内案内
北川一氏寄贈の親子カエル
当東門院は、比叡山の東門、比叡山を守る寺として東門院守山寺として延暦年間に建立されました。そのために、この寺の号をとってこの付近の地名も守山となった由縁があります。そして、江戸時代の文献によると「京。浪速に至るもこの賑わいを見ず」と言われるほど、街道の宿場町として発展いたしました。しかしながら、戦後町並みは当時の面影を失いつつあり、衰退の一途をたどっているのが現状です。この状態を憂いた門前の呉服店主の北川一氏が、守山宿よもう一度よみガエルよう、又もう一度サカエルようにと願を込めて寄進されたのが、この親子蛙です。
この蛙には、眼・脚・腰の悪いところを撫でて甦カエル、無事故でカエル、若カエル、金カエル、福カエル、失せものカエル等々の願いが込められております。
水盤舎
長年、荒廃し使われていなかった水盤ですが、大師堂と同時に新しく水盤舎として、屋根付きで完成いたしました。これからは、お参りしていただく方々に、まずお清めをしていただいてから、気持ちよくお参りできるようになりました。
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